楽しい会社
日本自動化技術は、供給力の拡張によって世界からあらゆる不足をなくすことをテーマに作られたものだが、本来の目的はそこにない。なぜなら我々が存在せずとも産業の自動化の流れは決して止まらず、その未来はいつか必ず訪れるからだ。またそれは消費者を含めた社会全体が成す事柄であって、会社が達成すべき目標や目的として掲げるものではない。それは単なるテーマ・指針であって、我々の存在意義には決してならない。
本質的には我々が日々を楽しむために会社が存在しているだけで、そのために自動化というテーマを設定している。会社の成長は現状に飽きがくれば求めればいいもので、それ自体は目標になり得ない。俺たちが今やっていることは面白いか?将来も面白いことをやり続けられるか?全ての従業員がこれらの問いにYesを返し続けることができていれば万事OKなのだ。
そもそもミッションやビジョンなんてものは所有と経営の分離が作り出した儀式的な綺麗事でしかなく、本当にそれら目標のために事業をしている企業は存在しない。彼らは常にミッションよりも自社の存続を優先する。本当に世界のために仕事をしているなら、持ちうる全ての情報を競合他社や産業全体に公開すべきなのだが、彼らはそれをしない。なぜなら「自分が、自分の会社がその未来を実現したい」というピュアなエゴが本来の動機だからだ。それ自体が悪いことだとは言わないが、建前ばかり並べて実際の行動がそれとかけ離れているのが気持ち悪いし単純に嫌いだ。
つまらない投資家に株式を献上してしまうと会社は腐る。なぜならそれによって売上や評価額といった意味を持たないクソみたいな数字を追うことが会社の目的になり、EXITという実質的な会社の死をゴールに走る未来が決定するからだ。会社の利益や売上が上がって喜ぶのは誰だ?顧客も従業員も、そんな数値には一切興味がないはずだ。ただ面白いからやっている、この根源的な動機を決して忘れてはいけないし、それをブレさせるような人間は会社に関わるべきではない。
こういうことを言うと、「社会的意義のない会社を誰も応援したいと思わない」「誰かのためになることをしろ」などの指摘を頂くことがあるが、それらは全て間違っている。あの偉大なアインシュタインやスティーブ・ジョブズも、誰かのために一生懸命仕事をしていたわけではない。あいつらは、自分の追求したい原理やプロダクトをただ純粋に生み出そうとしていただけで、それが社会をどう変えるかなんてことは考えてなかった。自分の好きなことをただひたすら追い求めた結果、社会がほんの少しだけ変わり、人々があとからそこに意味を見出しただけだ。応援なんて、別にされなくていい。一緒になって楽しみながら汗をかいてくれる仲間がいてくれればいい。意味ってのはいつも後付けなんだから、みんながそれぞれ俺らの存在意義を見つけていくもんだ。俺らが好きでやっていることは、いつか絶対誰かのためになる。そのときに、いつの間にかみんなが俺たちを応援してるようになるから。
だから、遠慮すんな。つまんないことはするな。面白いことは躊躇なくやれ。この会社はそのためにある。楽しめ、建前に流されるな。
俺たちが今やっていることは面白いか?
将来も面白いことをやり続けられるか?